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-2012.9.19-
メンテナンスフリー素材と経年変化の魅力
某大学 建築科 建築史家でもある先生の著書を読みました。
建築科に入学してきた学生に美しい建物、きたない建物を街中で写真に撮ってくるという調査を頼んだところ。
美しい建物:開発された分譲地に新築された建売住宅(外壁がタイル調サイディング貼)、郊外の結婚式教会。
醜い建物:木の羽目板の風化した小屋、波板スレートの工場、蔦に覆われた打放しコンクリートの校舎。
新しいものが美しいもので、古くなると醜いいう価値観。これは間違いではないし、多くの方が納得される価値観だと思います。
しかし、私はこういう見方はしません。
学生たちの思う、美しいとされた建物は味気なく見え、きたないとされた建物は味わい深い建物に写ります。
経済合理性優先で建てられた建物の多くはメンテナンスフリーと呼ばれる素材が使われています。
石調、タイル調、木調。 いずれも偽物で新しいときが一番きれいで古くなるとみすぼらしく感じられます。
一方きたないとされた建物に使われている素材は素材の持つ力を素直に活かしたものと言えます。
少々維持管理のための手間が掛けられていないところは否めないですが、それでも今まで風雨や外的環境から建物を守ってきた年月が傷跡として残している事で時間の経過を耐え抜いてきた力のようなものを感じます。
経年変化は良く味があると言います。 最近ではエイジングと言って新しいものにエイジングを施して古い材料のように見せた建材も出回っています。
ツꀀですが、本当の経年変化は時間を経た物にしか現れないものです。
その場所で長い時間を経た結果、色々な要素が絡み合って出てきた味わいを希少性という軸で考えるととても大事なもののような気がします。
素材の持つ普遍な力強さが長い時間の経過の中で味わいとなって熟成され、新しいときには無いものが表出するのだと考えます。
ヨーロッパの古い建物が連続するような町並みが美しいと思うのはこのような感覚からかもしれません。
美しい/醜い=新しい/古いという価値は建築という長く存在し続けるものにとっては重要な判断では無いのかもしれません。