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-2023.8.8-
「森に包まれた家」を考える 2023/8/8 構想中 備忘録
はじめに、「森に包まれた家」を具体的なカタチにするまでをつづっていきたいと思います。
いままでの手法とは異なるやり方で始まったこのプロジェクト。
カタチを決める際に今まで手掛かりにしていたことだけでなく更に広く過去や将来も射程において原理うを追求し、関わる人との対話の中から気づきや新たな種を見つけ 変化していくさまを共有しながら愉しめたら良いかなと。
興味がある方がおられればこのプロジェクトに参加していただければと思います。
これまでの設計方法
独立して23年たくさんの家を設計しました。
ぼくが依頼される場合、家を建てるために敷地を購入された、建て替え、又はリノベーションと既に土地や建物がある状況から家づくりが始まっていきます。
言ってみれば環境が確定された状態からの家づくり。環境はあるものとして捉え、そこにふさわしい家を構想していく設計方法です。
この方法はその敷地のパフォーマンスを設計で活かしていくという意味では家やその敷地、お施主さんにとってはとても良いやり方です。
設計者にとっても確定されているからこそ設計しやすいという側面もあります。
不確定要素がたくさんあると計画を決める為に選択していく道筋が増えて時間と労力が増えることになります。環境やインフラ、法律、コンセプト、お施主さんの与条件、予算等を実現可能な計画に収束させていくためには様々な立ち現れる障害や乗り越えるべき壁を事前に察知し、手段を講じ時には代替案を用意し折衝や交渉を重ねひとつづつ積み上げるように計画を進めていくことになります。
全てにおいて同じ進め方となる訳ではありませんが最近では工事費高騰によりコストが大きな不確定要素となっています。
そんな状況の中で確定させるという進め方や考え方が知らず知らずのうちに型にはまってしまいその範囲の中での思考になっているのではと感じています。自覚できていることではあるのでインプットや発想する際には意識的に型から外す事をやってはいるものの外れきることが出来ていないようにも思えます。
環境に手を加えること
森に包まれた家では確定された環境を能動的に改変又は手を加える試みから家づくりをスタートさせてはどうかというアイデアです。
確定された環境を森にする事から始めてから家の在り方やカタチを決めていくという方法です。
(家を構想する前に植える木から決めていく感じ環境を改変させるのです^^)
演劇から生まれたアイデアだったのですが多くの可能性を秘めているのではないかという実感があります。
今回の計画地は比叡平という山の上の住宅街なのでパッチワーク的に森が増えていき30年後50年後、人口減少時代になると徐々に自然の山に回帰するような景観になることを妄想しています。
社会の要請によって切り開かれた街が徐々に自然に戻りながら豊かに人と共生するプログラムです。
僕たちは森をつくるから考えましたが、環境に手を加えるとしたら何から考えたいか?
この方法で考えた家が所々に増えていくと街がもっと豊かで歩いて愉しくなるような街になっていく氣がします。
(元々、比叡平という街は知っている範囲だけでも歩いて愉しい個性のある街だと感じています)
パーマカルチャーデザイン
最近興味のある[パーマカルチャー]の視点でこの計画を捉えてデザインするとこんなイメージが広がります。
・森をエディブルフォレスト(食べられる森)にして食べるものを育て近隣の人たちとシェアしたり何なら一緒に手入れを愉しむ、生物多様性を学んでそれを広げていく。
・山の上の閉ざされた街のレジリエンスもあがるかも。
・森もあれば畑をされている方も多いので個でやるだけでなくもう少し共有的にやってみたら高齢になっても楽しんで参加できる。
・自分の家以外の居場所が出来る。
・自然とのつながりを取り戻す。
・暮らしを通じて体験を増やせる。
・気持ちを個から公へ少し広げる。
なにやら楽しそう!
隣近所のおっちゃん、おばちゃんと年代を超えた交流も深まりお互いが能動的につながりそうな氣がします。限られた土地なので出来る事から始めていくのが良さそうです。
有機的な資源の循環、エネルギーの循環などはFORMAの設計手法とつなげると 建築工法、使う素材、維持管理の為の仕組み等シミュレーションして具体的に導き出すことが可能です(パッシブデザインや素材選択の為の計算手法等)
また環境をどのように配置又は利用して循環をつくるかというデザイン手法はこれからの暮らしや家の在り方を再発見することにつながり、エネルギー、食、教育を考える時、自然の原理を知って恩恵を最大限に活かす生き方がとてもありがたいことなんだと感じることにつながります。
突き詰めていくとインフラがない状況になったとしても存続していける力を持つことができるのではないでしょうか?一件ごとの家で考えるのではなく隣近所、街区と広い地域で取り組むと更に実現可能性が高まるのではと考えます。
パーマカルチャーはビル・モリソンとデイビット・ホルムグレンというオーストラリアの研究者が提唱したものですが、人間にとっての恒久的持続可能な環境を作り出すためのデザイン体系であり最も普遍的である自然界に流動している比較的無害なエネルギーを用い我々がこの地球の上で存在していけるようにするシステム。
土地や植物に対して合氣道の精神を用いるというのが何とも日本的であると感じます。
日本の山間部での農的な暮らしは過去の知見や知恵が集積したパーマカルチャーであるとも言えます。
地方都市や田舎だけではなく都市部でもこの取り組みが実践されている場所があるようです。
今住んでいる所でこの考え方を実践することで学びが得られる氣がしています。
日本で暮らす
建築は人の使うものの中で一番大きな道具かもしれません。
道具を考える時、民藝運動というムーブメントがありました。
民藝運動は、1926(大正15)年に柳宗悦・河井寛次郎・浜田庄司らによって提唱された生活文化運動です。当時の工芸界は華美な装飾を施した観賞用の作品が主流でした。そんな中、柳たちは、名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具を「民藝(民衆的工芸)」と名付け、美術品に負けない美しさがあると唱え、美は生活の中にあると語りました。そして、各地の風土から生まれ、生活に根ざした民藝には、用に則した「健全な美」が宿っていると、新しい「美の見方」や「美の価値観」を提示したのです。工業化が進み、大量生産の製品が少しずつ生活に浸透してきた時代の流れも関係しています。失われて行く日本各地の「手仕事」の文化を案じ、近代化=西洋化といった安易な流れに警鐘を鳴らしました。物質的な豊かさだけでなく、より良い生活とは何かを民藝運動を通して追求したのです。
引用:日本民藝協会
今の時代においても日本らしさを大切にしたいと考えます。なぜなら引き継いでいく事が自分たちに課せられた使命の一つだと感じるから。
大正の時代から既に資本経済、近代化=西洋化に対する日本文化に対する危惧を感じていた発起人たちの思考の深さに驚かされます。
大正から戦後、高度経済成長、安定成長期からのバブル崩壊、失われた20年、東日本大震災、コロナを経て更に近代化、合理化が進む社会の中で失われたもの、失われつつあるものは多くありそうです。
暮らしの文化や舞台である家においてもこの国の風土で培われてきた「健全な美」「美の見方」「美の価値観」は多様化はしていても一般的に受け継がれているのだろうかと感じています。
既に日本の世帯数は減少傾向となり今後は住宅が余る時代になってきています。暮らし方や住み方のスタイルも多様化しており暮らしの舞台となる家の在り方や保守や修繕(維持管理)はだれが行うかという事も大きな問題となると思います。
実際、建築業界では職人さんの数が激減しており技術の継承も心配な状況です。
保守や修繕の担い手の確保をどうするかという視点も視野に入れた工法や素材選びに重きが置かれることになります。
幸い日本には二百年以上前の建築も存在しており、近代以前の建築には持ち主が自ら保守、修繕が可能な素材や工法で作られていて取り巻く環境は違えど非常に参考になります。
建物が生まれるところから無くなるところまでも視野に入れた家づくりをしておけばリデュース、リユースリサイクルに使う事で将来の解体時に大きなエネルギーを使って廃材を処分するという負担を軽減することにつながります。
可能な限り自然に帰る材料を使い、将来、負の遺産とならないよう循環サイクルつくる事も大切です。
過去の建築を復活させるとか礼賛するわけではなく現在の技術も原理として取り入れ論理的に性能を担保する事も可能だと考えます。
日本的なものとは?という地平に立ち現在のフィルターを通してこれからの家を考える事が今の僕がするべきことだという気持が日増しに強くなってきています。
「森に包まれた家」と今住んでいるNshouseにおいて出来る事を実践実験し設計にフィードバックし
日本的な「健全な美」「美の見方」「美の価値観」 うつろい家デザインを内包した家の在り方を実現していきたいという思いがあります。
計画がどのようにまとまっていくか思考の過程を備忘録として残しておきます。
2023/8/8 中西 義照
FORMAの家づくりではそこに暮らす人にフォーカスする事