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-2024.10.14-
ヒマの極意
祝日の10月14日スポーツの日、今日は10月のみちくさリビングです。
FaceBookでのご案内はしていたものの、すっかりブログにアップするのが遅れてしまいました。
先ほど、お二人お越しいただきありがとうございました。
今日は来てくださる方がいらっしゃいましたが、先月のみちくさリビングは閑古鳥が鳴きました。
近かったら行きたかった、タイミングがあったら行きたかったとコメントくださったみなさま、お心遣いありがとうございました。
閑古鳥はなんだか残念な感じがしますが、おかげで気がついたことがありました。
仮にもみちくさリビングを行いますと案内させてもらったので、予定していた時間内は自分の時間を確保していました。
それが結局フリーになった。つまり、「暇ヒマ」がうまれました。
子ども時代の夏休みのように(今の子どもたちは忙しいですね)、「ヒマ〜なにしよう」この感覚が突然やってきたのです。
実は、この「ヒマ」という感覚が、どうも掴みきれないなぁと思っていたところでした。
というのも、亀岡霧の芸術祭で現在開催中のみどりのテーブルシリーズで、美術家、伊達伸明先生の『ヒマの潰し方の極意』のお話しをお聞きし、お話しされた「ヒマ感」について思いを巡らせていました。
あらためて考えると、「ヒマ」を最近感じたことがないことに気がつきます。休日や、仕事や家事の予定をしていなくても、たとえば積読の本を読もうとか、気になってたことを調べようとか、『前もって』思うわけです。
『前もって』
そう、前もって考えていればそれはすでに「ヒマ」ではないのでしょうね。そうしたら、なんだかとても不自由な日々を過ごしているようにさえ思えてくるのです。
そんなタイミングでの閑散としたみちくさリビングが、「ヒマ」を連れてきてくれました。
結局、「ヒマ」な状態からなにをしたかと言えば、本を読んで本棚の整理をしました。
ヒマじゃないやん!とツッコミたくなりますが、ところが、前もって予定してするのと、ヒマでするのは全く感覚が違います。
決められていない自由、やらなくてもいい自由、心の持ちようが違います。なんと表現していいのでしょう。
ゆとり、余裕、あそび、自由、余力、余地、余分、 余白、、、
必要なものに使ってなお余りがあるという意味をもつ言葉たちです。今回は時間という余りがあったわけですが、これは時間に限らず、物やお金も同じかもしれません。
たくさんあっても予定しているものがあれば余りとは言えず、ゆとりはないということになるでしょうし、逆を言えば、少ないものでも自分に必要なものがそれより少ないなら余りがあり、それはゆとりがあるということでしょう。
ヒマ感がとても貴重なものに思えます。
さて、11月のみちくさリビングは、22日(金)二十四節気「小雪」にミライマで行う予定をしています。
ヒマ〜、そんなゆとりがある方もそうでない方もどなたでもお越しください。